私とおしゃれ 私はなぜ、おしゃれにこだわるのか?
今回は、私のファッション観といいますか、おしゃれというものに対しての、私の思うところをお話ししたいと思います。
*「まあ、『おしゃれに凝るくらいだったら、もっと他にがんばるべきところがありそうなもんだ!』て思ってる人も、いるかも知れないしね」
もちろん、がんばるべきところはがんばるべきなのですが…
人間、一日に使える精神力には限界というモノがありまして、
あまりオーバワークになりすぎると体の調子を崩してしまいますからね。
とくに私の場合、さいきんは当店アイトピアのお客さまも増え、
新入荷のメガネフレームを厳しく検品したり、
お店のメガネの帳簿管理をしたりなどなど仕事が増えてキリキリ舞い状態に……
*「特に岡本さんの場合、ビジネスに料理にその他もろもろ、やらなきゃならない仕事がたくさんあることだしね。
たしかお店の什器の増設が、まだ済んでいなかったような…」
ギクッ! そ、それはちょっと、お店の倉庫でひとりさみしく、
ノコギリやドライバーやカナヅチでトンテンカンやって什器の設計にいそしむなどということを、
こんな寒い冬まっただなかにやった日には… それこそ凍死してしまいます!
ただでさえ冷え症気味なのにブツブツ
*「まだ若いんだから、褞袍(どてら)に下駄(げた)で丁稚奉公が分相応なんじゃないのかなぁ」
ううっ、私の父と同じようなセリフをくどくどと…
だいたい誰が、父である店長の洋服を選んであげていると思っているのでしょうか!
*「父親の服だけは、ユニクロのセールで買い付けてくる人間が、よく言うよ〔ボソ〕」
そ、それはですね。一度イタリア製のセーターを格安で手に入れてきて父に着せたことがあったのですが、
着始めて一日でエリを指でちぎってしまい、「これえらいヤワなつくりやな〜」などとのたまったものですから…
豚に真珠とはこのことでしょう。
繊細な高級服ほど、着る人を選びますからね。着る人が愛着を感じて大切に扱ってあげないと、
服は服のほうから、持ち主を見限って出ていってしまうモノなのです。
*「なんか洋服に、過剰な思い入れをしているようにも見えるが…」
そりゃ私も一応は、メガネ業界ということでファッション業界のはしくれの人間ですからね。
メガネに対して愛着を持つうちにいつしか、洋服に対しても同様の愛着を感じるまでになっていったのです。
一度選んだ洋服は、その服を活かす組み合わせまで考えた上で徹底して使いこなし、
最後まで面倒を見るくらいの覚悟で臨まなくてはならないのです!
ですのであいまいな気持ちで、その場の気持ちだけで買うだけ買うといった生半可な行為は、
可能な限り慎まなければなりません。
*「なんかだんだん、洋服以外の何かについて語っているような口ぶりになってるね…」
そ、そうでしょうか、はてさて。
洋服店にて、偶然の巡り合わせで知り合った、何か気になるあのアイテム。
想いは募るばかりだったが、そのときはそのまま別れ別れに…
そして後日、いよいよ自分の本当の気持ちに気づき出かけていく矢先。胸にはすでにそのとき、固い決意が誓われていた……
*「そして洋服店にたどり着いてみれば、その服はすでに他の人のものに…
二度とは帰らぬあの日の想い出。悔やんでも悔やみ切れぬ悲痛なる慟哭(どうこく)の叫び」
そういえば、そんなこともありましたね。
洋服を買う… つまり決意を固めて我が洋服ダンスに加え、生涯のパートナーとするからには、
それを着こなせずに投げるといったことが決してなきよう、細心の注意を払わなければならない…
つまりタンスの肥やしとしないためには、いまある洋服との組み合わせを入念に想定し、シミュレートしたうえで決断をしなければならない、と。
しかしこの用心深い性格のせいで、いままでいったいどれほどの洋服を買い逃してきたことか。
*「その、石橋をたたき壊して落ちるかのような性格が原因だって、いいかげん気づきなよ…」
いいんですよ。その洋服を買い逃したということは、その服は他の人の洋服ダンスへと旅だったということ。
きっと私が思い詰めていたその洋服は、他の人のところで幸せに暮らしていくことでしょう。
これでよかったのですよ。いまはもはや、旅立っていったあの洋服の幸せを祈るばかりです。末永くお幸せに。
*「これ、なんの心理テスト? 本気で言ってんのかね」
そうそう、この稿でのテーマは、『私はなぜオシャレにこだわるのか?』でしたね。それについてのお話をはじめましょう。
*「いままでのは、単に話が脱線して横道に逸れただけだったのか」
では、残りの稿も少ないことですし、できるだけ簡潔にお話しいたしましょう。
私がオシャレにこだわる理由は、『‘生きたお金の使いかた’というものを、理解するため』なのです。
*「‘生きたお金の使いかた’って、いったいナニ?」
私のこれまでの人生は、あまりにもケチケチすぎました。
高校三年まで小遣いナシ。オシャレな洋服屋さんを見て回っては、たまにセールでTシャツとかを、なけなしのお金で買って出てくる生活。
両親が、‘とにかく貯金をして、身の安全を確保する’という信条のむかし人間でしたので、
私までが‘お金を使うことがこわい’というタイプの人間になってしまっていたのです。
*「でも、貯金も必要なんじゃないの? いざというときに保険とか生活保障とか、必要になる場合もあるしね」
もちろん貯金も大切なのですが、その場合でも‘生きたお金の使いかた’ができる人間になろうということが、
私にはもっと大事なことのように思います。
‘生きたお金’というのは、『後で戻ってくるお金』のことだともいえますが、
それは「お金を使うことで得た経験を、後でビジネスに活かして成功させる」という意味です。
*「まあそういう言いかたって、いろいろな本なんかでも言われていることだよね」
それだけではなく、もうひとつ大事な意味合いがあります。
それは、『‘楽しみ’というものを、理解するため』ということです。
*「なんだかそれって、いまの時点で‘楽しみ’というものを理解していないかのような口ぶりだね」
そうです。私は、‘楽しみ’を知らない人間なのです。
あまりにもマジメに生き過ぎると、楽しみとか幸せとかいう感情のない人間に育ってしまうのですよ。
両親は真面目な人間で、マジメがいちばんと思っていたようですが、
それは戦後の経済復興の耐えなければならない生活を生き抜くために必要だったこと。
こんな私が、料理教室に行ったら、浮くこと浮くこと…
周りの人たちは楽しんで料理しているが、私は必要に駆られて料理しているだけで、そこには楽しみがない。
まずお話の内容が合いませんし、なんとなく私には‘不幸せオーラ’が漂っているのでしょうか。
やがては会話すら息切れがして続かなくなってしまうのです。
*「将来の不安を意識して生き続ける人生観だと、いまを楽しむことができなくなっちゃうんだよね」
人は楽しみをたくさん感じて生きていかなければ、自分以外の他の人を楽しい気分にすることもできない…
なによりその人は、感情のない人間になってしまう。
人から好かれる人間は、楽しみをたっぷり、心に養分として取り入れて、心の中に花を咲かせている。
でも私の心には花が咲いていない。
私は今現在で28歳ですが、30歳代中頃までに、心に花を咲かせることを目標にして生きていくことに決めたのですよ。
(2007年2月1日現在)
*「心に花を咲かせるって、いったいどういう…」
とりあえず今年の冬、‘マジョリカ’という花の名の薔薇の花を、長居公園の植物園で買ってきていま、
職場の裏庭でせっせと水やりして育てているところですね。この花が咲く頃には、私の心にも花が咲いているでしょうか…
*「なんで薔薇の花…?? まあ、とかく現代人は、‘楽しみ’というものを感じられる機会が、少なくなっているのかも知れないね」
そう、特に私の場合、‘楽しい〜’とか‘幸せ〜’とか感じたことが、これまでの人生で2回しかありませんからね。
より事態は深刻だといえるでしょう。
*「ロクな人生送ってないね…」
そこでこの先、私が楽しみを感じるとこのできる可能性のあるモノをいろいろと考えた結果。
それはファッションのオシャレにこだわることしかないという結論に達しました。
*「ビジネスで成功を目指すとかはダメなの?」
う〜む、それはそれで成功したときの充実感はあるのですが、なんとなく違うんですよね〜
なにが違うのかというとカンタンには説明できないのですが、要するにそこには“ムダがない”からではないかと。
ビジネスというのは、経済的な必要に迫られてやっているという動機で行うのであって、
‘楽しみ’というのとは、ほんのすこしの距離を感じていますね。
*「‘ムダがない’とかなんとか、聞いててもよくわかんない観念だな〜」
そういえば、あるビジネス本に書いてありました。
『人間は‘ムダ’がないと生きていけない。パチンコや遊戯娯楽、そういったものが根強く生き続ける背景には、
そういった人間の根本的な性質が見え隠れしている』
なんとなく、私のこれからのビジネスに生かせそうなフレーズですね。
チェックしておいて、よくよく意味合いを考えておかなくては…
そして将来のニュータイプのビジネス起業にさきがけて、
この人間の普遍的性質を汎用的かつ効率的に事業の好転へと結びつける糸口として位置づけ… ブツブツ
つまるところ遊戯というものの社会的定義とはすなわち… ブツブツ
*「やっぱりダメだ、遊戯についてさえも、マジメに考えすぎちゃってるよこのヒト……」
終
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